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Tue.

ツリー・オブ・ライフ

treeoflife.jpg




ツリー・オブ・ライフ



監督はテレンス・マリック。
超ネタばれですので、これから見に行こうとおもっている方は、読まないでね。

ちなみに、評価は、0円です。

日常の生活で全てにおいて、神と言う存在を意識し、万物の創造に常に感謝していらっしゃる方。
もしくは、テレンス・マリックという人間のことを、愛してやまない方以外には、おススメできません。


BBCあたりが製作しそうな「地球の創造」の映像と、「エデンの東」をただの足し算でくっつけて、旧約聖書のふりかけをかけたような映画。


















今回は、冒頭を書く意味無いので、やめときます。



テレンス・マリックだからって、なんぼのもんじゃい!
つまらんし、ムカつくわ。


21世紀の「2001年宇宙の旅」って、言われてるんだってさ。
アホか! ほど遠いわ!
スタンリー・キューブリックに失礼極まりない!


こういう映画では、考えずに、感じればいいんだ、と言う言い方を良くする。

この映画は、特に↑のような言い方をされると言う逃げ道を、しっかり用意されて作られた、ただ逃げの映画だ。
たとえば
伝えたいことが、たくさんある。
それを、箇条書きにしてみる。
1、2、3、と…。

1、神への感謝
2、命の尊さ
3、兄弟の嫉妬、愛憎
4、父親の威厳
5、母親の愛情
6、家族の崩壊と再生
7、戦争と平和
8、自己の崩壊と再生


映画を作ろうとする人間達は、こういったものを、どう1本の映画としてまとめるかってのが、まず重要な作業だ。
しかし、この映画はそれを怠っている。
もっと言うと、まとめる事をしなくていい、と考えてるのが、伝わってくる。(それが、”逃げ”だ)
テレンス・マリック曰く
「自分が観客に出来るもっとも誠実なことは、観客それぞれに解釈させること」だってさ。
しかし私は、そういう考え方が大嫌いです。
前にも書いたけど、印象派の絵画とかだったら、それもまたいいでしょう。
でも映画ってのは、絵画じゃない。
観てから購入するものではないし、自己満足では成立しないモノだ。
映画を作ろうとする人間達は、みんなそれをどうしようかと必死に考えて、がんばってるのに、この態度は考えられない。

監督は、今回2つの映画を同時に見せ、観客がとまどう姿を、高いところから見物?

これは、素直に繋ぎ方に失敗したって言うなら、今後も期待できるかもしれないけど、コレで完成品だ!と言うなら、もうこの監督には期待できない。(たぶんこの人は、一切語りもしないだろうけどね。)
作品を理解するのに、監督の頭の中にまで、観客が思いを馳せるなんてナンセンス。
たとえば、愛する人の思考回路を、理解したいと思うのはわかる。
でも、テレンス・マリックという人間を、愛しているわけでもないし、金を払って見せてもらういたいとも思っていないし、興味も無い。
それだったら、「お金くれたら、ぼくの頭の中を見せてあげるからおいで!」って言えばいいじゃん。

また、そんな映画であるなら、ブラピやショーン・ペンを使うなよ。
使ってる段階で、観に来てね!って言ってるじゃん。
それなのに、このていたらく。
たまに町で、綺麗なお姉さん(=ブラピ)がチラシを配ってる。
そのチラシを、受け取ってあげようかな、と手を伸ばすと、近くで絵画を売っているので、観に来て欲しいと言う。
連れて行かれた先には、男(=テレンス・マリック)が数人。
綺麗なお姉さんは、チラシを配りに、再び外に行ってしまった。
いくつか並んだ絵画に、もっともらしい理由や背景を説明する男。
で、購入させられちゃう。
そんな感じじゃん。

もしこんな映画が、”それは芸術で…”などと、評価されてしまうんであれば、みんな好き勝手に”宇宙”、”地球”、”神”、”生”、”死”、などの大きなテーマを掲げ、箇条書きみたいな映画を、作ればいいだけのこと。
(実際、バランバランなモノをつなぎ合わせて”芸術だ!”などと、評価されているものも、いっぱいある。)
大きなテーマであるほど、観客の想像力を借りて、過大な評価になります。

でも、それってどうなの?
それでいいの?
映画として……。




特に描きたかったのは、神への感謝と、命の重みだろうが、この二つが全然リンクしてこない。
つまり、前半の天地創造を見せられて、観客がそこで神の存在や生命の重みを感じる。
その気持ちを意識させながら、ある男の人生における懺悔と、一人の人間の死の重みを、イメージ映像をはさみながら感じさせる。
そして最後に、包括的な神のご加護?により、奇跡が起こり、希望の光を見出すことが出来、救われる。
全編に漂っているのは、神の存在と、神への感謝。
作り上げたのも、壊したのも、落ち込ませたのも、救ってくれたのも全て”神”ってことですな。
でも、それぞれがバラバラに存在し、統一感が無い。

特に、前半の天地創造が、浮きまくり。
ダラダラと長いし、途中ドラマパートが割り込んでくるし!
これは、しょっぱなから一気に、語りを入れた天地創造のシーンにすれば、まだ良かった気がする。
同じことを語るにも、最初っから生命誕生まで、一気に割り込ませずに見せたほうが、観客に親切だ。
でもたぶん、観客のことなど、頭の片隅に追いやっちゃってたんでしょう。
完全に”つかみ”に失敗。

まぁそんなだから、観客は映画にちっとも引き込まれない。

「で?なんなの~?」

「からの~?」

ってなっちゃう。
こうなると、もう、どうでもいいような事も、ひいた見方しかできしない。
「ねぇ、この人(ショーン・ペン)あの時からずっと、今みたいに悩んでたの? あんなに悩んでて、そのことばっかり考えてたのに、仕事で大成功を収め、結婚もできたの? ただ、この人の心の再生の物語?へぇ…そうなんですかぁ………。」って。


テレンス・マリック好きに

「前半のあの部分、この映画に意味あるの?」と聞けば、きっと

「いやあるね、アレこそテレンス・マリックが描きたかったところだ。」

と答えるだろう。

「じゃそれを踏まえたうえで、”あの物語”は意味ある?」

と聞けば、いったいどう答えるんだろう?

「天地創造があっての、”あの物語”なんだ」と、自信を持って答えられる人が、いるんだろうか?

私は、もっともっと天地創造部分を短くして、それこそ自ら語ってたように、観客の想像力に委ねた方が、深みも出た気がする。
なぜあの部分を、特に詳細にダラダラと、語る必要があったのか?
その後の部分とのギャップを、むしろ強く感じてしまいました。



この映画は、ブラピが演じた父親像そのものだ。
高圧的で、押し付けがましく、他人を尊重しない。
そのくせ、自分には甘く、他人にも甘える。

監督の自信過剰なエゴが、ビンビン伝わってくる、なんともおこがましい映画。
ただ監督が、神への感謝と懺悔を、自由気ままにつらねてるのを、見せられてる感じ。
懺悔したければ、一人で教会に行ってください。
感謝したければ、心の中で祈ってください。
それを人に見せて、みんなの大切なお金をください!ってのは、やめてください!

”あの物語”のみであれば、1500円ぐらいの評価でした。
こんな映画に1800円も払うんだったら、その分も多く義援金として寄付しとけばよかった。

デカイ事を、偉そうに語っている分、このクオリティにはイラつく!
ま、とにかく気分悪いし、お金もらっても観たくない。
今回は、お金払って”嫌な気分”を買っちゃいました。
最終的にお金を払う観客のことを、もう少し脳の中心に持ってくるべきです。
”つかみ”は大事ですねぇ…。



ところで、気になるのは、この映画がカンヌ国際映画祭で、パルム・ドールを受賞していると言うことだ。
私の中では、アカデミー賞よりも信頼を置いているパルム・ドールだっただけに、すごく残念な気がする。
で、今回の審査員長は、ロバート・デ・ニーロ。
パルム・ドールは、この審査委員長の嗜好が、大きく影響することでも有名です。

デ「作品の持つ圧倒的な力強さ、重要なテーマ性など、あらゆる要素が独創性に溢れ、パルム・ドールにふさわしい」

デ・ニーロの宗教観なのか?、それとも友達のショーン・ペンが出てるからなのか?、テレンス・マリックを接待して自分も…?。
謎は深まるばかりです……………。

どういういきさつで、選出されたんだろう?
パルム・ドール、ロバート・デ・ニーロの信頼をも、失墜させかねない映画でした。

ちなみに、アメリカでの興行は酷かったみたいですよ。




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